思えば遠くへ来たもんだ~すべてはここから始まった [振り返っちゃいました]
2005年夏、ヨメは人生の岐路に立たされていました。
1年後に契約通り帰国するか、中国駐在を2年延長するか、二つに一つの選択でありました。
中国に赴任するときには、「行ってきていい?」と聞くと
「アカン!」とダンナに言われるのが分かっていたので、
「行ってきます!」と報告だけして出発ってしまったヨメ。
それがあと2年延長となると、さすがにダンナの意向も聞かんとまずいかな…
と、ちょっとだけ一般常識を取り戻したヨメ。
ダンナは冷静に、でも唇を震わせて言いました。
延長するなら俺に別の自由を与えてくれ。
もうお前に出来ることは、子供を作ることに最大限努力するだけや!
なにお~
私のことを子供を産む機械だとでも思っているのか?!
もう、こんなおっさんにはついて行けん!と役所で離婚届をもらってきて、
必要事項を記載し、押印完了するヨメ。
しかし…
落ち着いて考えてみると、今ここで離婚すれば私の中国赴任は失敗談として
語り継がれてしまう…
女性の海外単身赴任と家庭との両立はできないという
実例になってしまう…
そうなると、私だけではなく後から続く女性候補者に不利になるのでは?!
とまあ、色々考えて予定通り3年で帰ってくることにしたのでありました。
その頃のダンナとヨメ。お互いに腹に一物持っていたかも?!
2006年夏、ヨメはダンナに収容されて帰ってきました。
もう、ヨメにできることは子作りに最大限努力することしかない…
で、何をしたらいいん?
子供ができたら仕事をどうするのか? 育児はどうするのか?と
色々とややこしそうなので、最初の1年は最大限自然にふるまっておりました。
しかし、それでは最大限の努力をしたとは言えないのでは?!と
一人前に反省し、金にモノ言わせて買っちゃいました!
電子体温計(後日撮影)
やっぱり、データ集めて分析すればなんとかなるんちゃうん
ということで、ヨメの子作り最大限努力をアピールした2007年夏でありました。
そんなドラマが今明かされるわけですね!
心して読まさせて頂きます。
by noel (2010-10-16 22:30)
出産の日を迎えるまで気を抜かないで下さいね。 マッチポイントを取っても、気を緩めると逆転された事を思い出して、日頃の生活でも階段や、 つまづきやすい場所は、細心の注意をお願いします。 小姑が回りに多くて大変な中、小姑的なコメントをして済みません。 私が親になったのも42歳の時でした。 同期生、頑張れ。
by ナイシキョウ (2010-10-17 21:27)
どこも、いろんな事があるもんですね。
努力のかいがあって良かったですね。
by masiko (2010-10-17 23:30)
それぞれの夫婦には、それぞれの物語がありますね。5年前がQMYさんちにとって、大きな転機だったのでしょうか。当っていないかも知れませんが、記事を読んで私が感じるのは、二人ともお互いを心から必要としている...ということです。そうでなかったら、誰がゲンゴロウ獲りなんかに付き合うでしょう? もし、
>延長していい?
>もちろん、行っておいで
というのが5年前の会話だったら、QMYさんの人生が今のような幸福であったかどうか(今がとても幸福のように見えています、私にはね)。
>ダンナは冷静に、でも唇を震わせて
このシ-ンに心が揺さぶられました。
by 雀翁 (2010-10-18 12:18)
あの時別れなくてよかった~、と思ったり、あの時別れときゃよかったと思ったりの繰り返しですが、いろいろくぐった上でのおめでたはいろいろひっくるめて本当におめでたいですね。
by Duarte (2010-10-18 12:51)
サフランさんにコメントいただいたのをきっかけに、青沢東さんがまだ広州にいたころの、前のブログから拝見してますが、いろいろあったんですね。
それにしても、下に表示されてる関連リンクが「子供 離婚 中国 おっさん・・・」って…。(笑)
by Lionbass (2010-10-18 21:58)
noelさん、大したドラマではないのですが、まあ40過ぎの女性が勇気を持って出産できるようにちょっとした体験話を載せてみようかなあと…(苦笑)。
by 青沢東(QMY) (2010-10-19 19:11)
内視卿さん、お久しぶりです!ご報告が遅くなって大変申し訳ございません。おっしゃる通り、油断大敵!マッチポイントの40-0、サービングフォーマッチにまで追い込んでおいて、ダブルフォルトはするは、チャンスボールはミスするは…ということはよくあることです。最後まで気を引き締めて頑張ろうと思います!!
ダンナも同い年なので42歳のパパになります。今後ともよろしくご指導・ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。
by 青沢東(QMY) (2010-10-19 19:15)
masikoさん、どこも多かれ少なかれなんか抱えているんですよね。だからこそ、それを乗り越えて笑顔でいられるんだと思います。
by 青沢東(QMY) (2010-10-19 19:16)
雀翁さん、コメントいただいて初めて気づきましたが、きっとあの時ダンナが「もちろん、行っといで!」と言っていたら、私はきっとまだ中国にいて戻ってはこなかったと思います。そして、当然のことながらダンナもヨメも別の道をそれぞれに歩んでいたんではないかという気がします。
あの時のことがあって、きっと今笑って話ができるんだと思います。
それにしてもあの時のダンナの怒りに打ち震える姿…今まで見たことのないあの姿だけはきっと一生忘れることができないでしょうね。
by 青沢東(QMY) (2010-10-19 19:20)
Duarteさん、人生すべて塞翁が馬、何がよかったのか、悪かったのかなんて分からないもんですよね。でも、その時その時後悔のないようにすることが重要なのかもしれません。これからも何が起こるか分かりませんが、棺桶の蓋を閉められるときに、楽しかった~と言える人生を送りたいなあと思います。
by 青沢東(QMY) (2010-10-19 19:22)
Lionbassさん、古くからのお付き合いありがとうございます。そういえばサフランさん、元気にしてはるんでしょうかね?6月にお会いして以来ご無沙汰してますわ。
子供、離婚、中国、おっさん…確かになんだかなあ~という関連リンクですね(笑)。
by 青沢東(QMY) (2010-10-19 19:24)
人間、長く生きていると
色々なドラマがありますわなぁ。
わしも一杯・・・・・・・・・・orz
by へろーめ (2010-10-25 04:47)
へろーめさん、ホンマ色々とありますわ。でもまあ、それが今となっては思い出として語れるんですからありがたいことです。
ご返杯!といきたいところですが、禁酒中でして…烏龍茶で乾杯!
by 青沢東(QMY) (2010-10-26 07:02)