このボタン、押せますか? [考えちゃいました]
冠婚葬祭の儀式には色々な意味があると思います。
特に、お葬式では残された家族に対して、少しずつ、先に逝ってしまった一人がいることを認識させているような気がします。
その儀式は地方によってかなり異なるようですが、四国のじいちゃんの住んでたあたりではこんなことをするようです。
じいちゃんが一人箱に入って家をでるとき、使っていたお茶碗を割ります。
こうすることで、じいちゃんがもうここでは生活しないことを残された家族は実感します。
じいちゃんの箱の中にも、残された家族がじいちゃんが好きだったものを入れてあげます。
じいちゃんには当然これでしょう!
簡易麻雀
じいちゃん、面子は向こうで集めてね。
そして、孫達はじいちゃんに最後のメッセージを残します。
じいちゃん!ありがとうね!
じいちゃんが喜んでくれてるかどうかなんてもう誰にも分からないのに、みんな一生懸命じいちゃんの喜ぶことをしてあげたい!そんな気持ちで一杯です。
最後に感謝の気持ちをあらわして、ある意味残された家族が救われるんでしょうねえ。
そんな中、1年半前にばあちゃんのときにも物議をかもした一つがこれ!
お別れボタン
これを押すと点火されます。
これを喪主が押すのですが、1年半前じいちゃんはばあちゃんのお別れボタンを押しました。
一瞬怯んでいたじいちゃん。
この儀式を初めて見たときはかなりショックでした。
こんなこと、いったい誰が考えたんでしょう?
最愛の人のこのボタンがはたして押せるのか?
先に逝ってしまった人のことを認識しなければならないのでしょうけれど、
このボタンは余りにも過酷な試練ではないでしょうか?
多分、私には押せないなあ。
私に有無を言わせないタイミングで係りの人が事務的に押してくれるほうが、私には幸せだろうなあ。
なんて、またまた考えちゃいました。
そんなボタンがあるなんて 知りませんでした。
それはあまりにも酷な気がします。
あったとしても 「押させていただきます」みたいな一声かけて
あちらの方が押すべきでは?
押したい!って言う人がいらっしゃれば? くらいを尋ねるとか。
う~ん、 こんなサービスは間違ってます。
てか、これは サービスでもなんでもない、過剰な?必要ないことだと私は思います。
by (2007-02-18 13:51)
愛する人がいなくなったことを認識しなければならない、そのための数々の儀式の中で、これがその最たるものなんでしょうね。
押せない・・けれど押さなければならない。つらいけど押さなければならないものだと思います。
by (2007-02-18 13:55)
通りすがりなんですが、わざわざ写真まで撮って見せていただいて、
リアルにいろいろなことを考えさせられました。
深く感謝します。
いつも思うものの、もっと日々大事に過ごしていこうと思いました。
ありがとうございました。
by キリ子 (2007-02-18 14:17)
こんなボタンがあるとは・・・
それにしても、簡易マージャンやご家族からのメッセージ、
どれだけみなさんに慕われていたおじいさまなのか伝わってきました。
きっとおじい様もとても喜んでおられると思います。
by ぬれぴよこ (2007-02-18 15:04)
私も そんなボタンがあるのは知りませんでした。
あまりにも 酷というものかと…
亡くなって一番悲しんでいるときに
そんなことをしなくてはいけないなんて
辛すぎます
私も kurumiさんと同じく事務的に
あちらの葬儀関係を取り仕切っている担当の方に
押してもらいたいと思います
お茶碗で 十分でしょう
by miho-rin (2007-02-18 20:52)
kurumiさん、私も何度か身内の葬儀に出席しましたが、このボタンを身内が押しているのを見たのは四国のじいちゃんとばあちゃんのときだけでした。大阪ではまず見たことがない習慣だけに最初のときはかなりオドロキでしたね。葬儀屋さんも最初の打ち合わせのときに「押しますか?」って段取りしてくれたら押したい人は覚悟するだろうし、嫌な人は任せるだろうし…。ホンマ私にとっては世界一嫌なボタンであります。私も要らないと思いますねえ。
by 青沢東(QMY) (2007-02-19 05:43)
サフランさん、このボタンを押そうが押すまいが逝ってしまった人は帰っては来ないのですが、やっぱり肉体がなくなってしまうと思うとかなりつらい決断になりますよね。私だったら、そこまで来てても「やっぱり押さないで!」って言ってしまいそうですもん。淡々と係りの人が押してしまったほうが諦めもつくというもんです。私にとっては…。
by 青沢東(QMY) (2007-02-19 05:48)
キリ子さん、葬儀の席で写真をとりまくっているなんて不謹慎かなとも思いつつ、こういった機会に色々形として残したいと思ってこのボタンも写真に収めてしまいました。賛否両論色々とあるでしょうけど、こういった機会に考えておくのもいいのかもしれませんね。
by 青沢東(QMY) (2007-02-19 05:52)
ぬれぴよこさん、ばあちゃんにとっては面倒なじいさんだったかもしれませんが、孫達には優しいじいちゃんでした。でも、やっぱり孫のもとよりはばあちゃんのそばがよかったのでしょうね。なんだかんだいってもラブラブの二人だったのかもしれませんね。少なくとも、じいちゃんはばあちゃんにぞっこんだったのでしょうね。
by 青沢東(QMY) (2007-02-19 05:55)
みほさん、本当に賛否両論分かれるところですが、私もできればこんなボタン身内に押させて欲しくないです。ただ、本当に押せた人は踏ん切りがつけるんでしょうけどね。この後、肉体がなくなってしまったのを見るとなんとなく逝ってしまった実感がわいてくるのも事実ですしね。難しいものです。
by 青沢東(QMY) (2007-02-19 05:57)
こんな習慣 初めて知りました。
東京では経験した事ないし 母方 父方の葬儀でも
こんな事はありませんでした。
母の葬儀の時 母が使っていたお茶碗は割りましたけど・・・
それだって躊躇して 私はなかなか 割れませんでした。
それなのに ボタン押すなんて・・・
これは 葬儀屋さんが押すべきだと思います。
身内には酷です。
by Coo (2007-02-19 08:41)
Cooさんも悲しい思いをしてはったんですね。ホンマに身内にはつらいボタンだと思います。やって区切りをつけたい人もいるんでしょうけど、見てるほうもつらすぎますよね。
by 青沢東(QMY) (2007-02-20 08:12)